死ぬってどういうこと?死恐怖症(タナトフォビア)と克服の話
こんにちは、べっちです。
今日は僕の心の一番奥の方にある、かなり暗い話です。
幼いころから持っていた根本的な悩みで、今は割と克服できた気もしますが、本質は変わっていないと思います。
・・・暗い話が嫌な方は、読まないほうが良いかもしれません。
幼いころから死ぬことが怖くて眠れないほど悩んでいた
僕が物心が付き始める3歳か4歳くらいの頃だったと思いますが、割と近い親戚の人が亡くなりました。
その方が亡くなったということを聞かされて、僕は死ぬってどういうことなのか、幼い頭で考え始めました。
そして、ほどなくして、
「死とは自分という存在が消えてしまうこと」
ということを理解しました。
大人たちは、
「良いことをすれば天国に行ける、悪いことをしたら地獄に落ちる」
などという話をしてくれることもありましたが、僕はそういうことだけは妙に勘が良くて、とても信じることなどできませんでした。
一生は一度きりで、
死んだら二度と生き返れないことも、
僕は幼児期に理解してしまいました。
これは、まだ幼かった僕にとっては重たすぎる現実でした。
自分にも例外なく死は訪れ、死は永遠に続く、ということを知るのがあまりに早すぎました。
その頃からもう、寝る時に死ぬことを考えると怖くてどうしようもなくなり、寝つけないというようなことが多くなりました。
そんな時には決まって母の布団に潜り込み、ようやく安心して眠っていました。
親には、
「死んだらどうなるの?」とか、
「死ぬのが怖い」とか、
一切相談したことはありませんでした。
そんなことを聞いても、親も答えなんて知らないことは分かっていました。
それに、自分がそんなことで悩んでいることを知られることも恥ずかしかったというのが大きかったです。
また、死んだ後には暗くて狭いお墓に埋められるのも、怖くて仕方ありませんでした。
何百年も何千年も、暗い所に閉じ込められて出て来れないと想像してしまい、心の底から震えました。
死んでしまったらお墓に埋められていることはもう分からないはずなのに、こういう部分は死を正確に理解できていなくて、なんだか損をしてしまっていました。。
そんな幼児期、児童期を過ごし、小学校五年生くらいに塾で、僕と同じようなことで悩んでいると言っている同学年の塾生がいました。
塾の授業中に、どういう話の流れだったか忘れましたが、その子が
「いずれ自分が死んでしまうことが怖くて眠れない」
って言い出したのです。
内心、
「僕といっしょだ」
とドキっとしました。
でも、聞いていたみんなは
「なにそれ~」
みたいな感じで笑ってました。
なので、僕も負けじと、
「そんなこと考えてもしょうがないじゃん~」
と、一緒になって笑ってました。。
僕にとっては、そんなことで悩んでるなんて恥ずかしくて口が裂けても人には言えない事なのに、その子はそんなことよく言えるなぁ、とビックリした記憶があります。
その後、僕は大人になっていくにつれて、
「死ぬのが怖い」
と悩むことは減っていきました。
他に悩みや考えることが目の前に多かったので、死ぬことなんて考える余地は少なくなった、というのが正しいと思います。
恋に受験に人間関係に、就職に仕事に、と頭の中は大忙しでした。
そんなこんなで、僕は今38歳です。
死んだ後のことを考えて怖くなることは、今でも寝る前にたまにあります。
ふと思ったんですけど、
「死んだ後」って、「生まれる前」と同じことですよね。
なのに、死んだ後のことを考えたら怖いのに、生まれる前のことを考えても別に怖くもなんともありません。
なんででしょうかね。
100億年以上も前から、自分がいない世界(宇宙)が存在していたはずなのに。
人間の脳って、未来のことは心配になるけど、過去のことは心配にならないように出来てるんですね。きっと。
「死恐怖症 (タナトフォビア)」っていう名前があった。
ネットで検索してみると、死ぬのが怖いと感じるのは割とみなさん同じみたいです。
まぁ、考えてみたら当たり前かもしれませんね。
それでも僕みたいに夜眠れなくなったりするくらい悩んでしまうことを、「死恐怖症 (タナトフォビア)」と言って、世の中には同じ悩みを抱える方はそれなりにいるようです。
そして、これは一種の「うつ病」なのだとか。
あれ、僕って4歳の頃からうつ病だったってことなのかなぁ。
歴史を思い返しても、秦の始皇帝なんかも完全に「死恐怖症」ですね。
なんせ、死を恐れて「不老長寿」の薬を探したくらいですから。
でも、大人になってからは悩みすぎて眠れないってことは無いから、「死恐怖症」ってほどでもなく、一応克服できているのかもしれません。
やっぱり、他に色々考えることがあったり、疲れてたりしていると、寝る前に「死」のことを考える余裕なんて無いっていうのが大きいと思います。
まぁ、ガンになった時にはめっちゃ考えましたけど。
あの時は死んでからのことを考えるのも怖かったけど、むしろもっと怖かったのは死ぬまでの過程です。
ガンのステージが上がって末期ガンとなり、「死んでいくまでの苦しみ」をリアルにイメージしてしまい、あまりの恐ろしさにまっすぐ歩くことも困難でした。。
そういえば僕が生命の起源とか、宇宙のこととか、今までの人生で折に触れて何回も調べてきたのも、根本は「死への恐れ」があったからこそな気がします。
生命の話や宇宙の話については、下記の記事でお話していますので、よろしければご覧ください。
終わりに
こんなことも考えてみました。
宇宙の寿命が何百億年かあって、通常の確率ではその歴史に、僕という人間は存在しなかったはずなんですよね。
でも、何の奇跡か分かりませんが、たまたま数十年、僕という人間が生きることになったわけです。
大きな宇宙にとっては、本当に取るにならない一瞬の、小さすぎる出来事だと思います。
そう考えると、少なくともその奇跡に感謝しなくちゃですね。
普通だったら生まれるはずのないくらいの確率の、貴重な命なんだから、精一杯生きなくては損ですよね。
・・・全体的に暗い話になってしまいましたが、最後はちょっとだけ前向きな話になれたかなぁ。
それでは、今日も最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
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