手塚治虫『火の鳥』印象的なセリフ特集 ~過去側~ 人生とは何か?
こんにちは、べっちです。
今日は一昨日に引き続き、手塚治虫『火の鳥』の特集記事です。
一昨日は「未来側」の衝撃的なシーンについてお話しました。
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手塚治虫『火の鳥』衝撃シーンまとめ特集 ~未来側~ ネタバレ注意
一昨日は「未来側」からだったので、
今日は「過去側」から印象的だったセリフについてお話します。
死なない体になりたい!
まずは1つ目のセリフからです。
シリーズ1作目「黎明編」で、主人公の「ナギ」が「グズリ」に話すセリフです。
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「ナギ」のこのセリフは、
僕が幼い時からずっと持ち続けていた気持ち
そのものです。
ただ僕は、こんなこと人に話すのは恥ずかしいしカッコ悪いと思ってたので、このブログ以外では誰にも話したことはありませんでした。
それが、『火の鳥』を読み始めたら開始早々に、まだ小学生くらいの少年が突然こんなことを言い始めたのでビックリです。
子供の言うことなので無邪気なセリフにも見えますが、「ナギ」なりの人生の中で辛い経験を通して、人生の儚さを苦悩していたのでしょうね。
『火の鳥』シリーズではその後、一貫して「命」をテーマに各編がつづられていきます。
手塚治虫先生としても、最初の編で、しかも最初の方に、この「死にたくない」という普遍的な思いをセリフを語らせることで、シリーズの方向性を読者に伝えたかったのかな?とも思います。
「ナギ」のこの疑問を聞いた「グズリ」は結局その問いには答えることなく、その後彼は火の鳥に2度遭遇することになりますが、グズリ自身は全く永遠の命に興味は無いようでした。
他にも「スサノオ」や「弓彦」のように、永遠の命には全く興味のない人もいる反面、「ナギ」や「ヒミコ」のように「生」に執着する人もいて、本当に死生観って人それぞれなんだなぁ、と感じます。
僕自身は、死ぬのは怖い気持ちは変わらないですけど、続く 「未来編」を読み、永遠の命って本当に恐ろしい ものなのだと考えが一変させられました。
「黎明編」についてのさらに詳しい感想は下記の記事でお話していますので、もしよろしければご覧ください。
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手塚治虫『火の鳥』黎明編 不老不死を巡って太古を生きる愛憎物語
死ぬのは嫌だけど、永遠の命も恐ろしい。
そんなことを考え出すと、気持ちがズーンと沈んでしまいます。
一体、生きるって何だろう?幸せって何だろう??
・・・そんな疑問に対する一つの答えが、続く「ヤマト編」で描かれます。
幸せとは、「死なない」ことではなく、「生きがい」を見つけること
2つ目の印象的なセリフは、「ヤマト編」で出て来た「オグナ」と、年老いたグズリの子供、そして「クマソ」の王の会話です。
この
- 幸せとは自分の「生きがい」を見つけること
- 「生きがい」とは 自分の信じた道をひたむきに進むこと
という言葉、そしてさらにシリーズ9作目「乱世編」では、
- いくら自分の信じた道であっても、他人を陥れるようなことであってはならない
ということも学び、これらの教訓には本当に勇気をもらいました。
読んだあの日以来、シンドイことがあった時には思い出して、前に進み続ける活力になっています。
特に最近では仕事が結構忙しくて、夜遅く帰ってみると1歳になったばかりの娘が夜泣きをしていて抱っこしたりなど、寝不足との戦いの日々でした。
(ようやくGWに突入し、反動から昼夜問わず惰眠を貪っている2日間ですが)
でも、これが自分の選んで来た道だし、今シンドイ思いをしていることが、そのまま自分の「生きがい」なのかな?と思うと大分心が楽になる気がするのです。
「ヤマト編」についての感想は、以下の記事でお話しています。
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手塚治虫『火の鳥』ヤマト編 「生きがい」って何? ネタバレ感想
さて、続く「鳳凰編」では、人生の一切の苦悩から時は慣れた一人の男が登場します。
我王の悟り
さて3つ目の印象的なセリフですが、シリーズ5作目『鳳凰編』に出てくる「我王」の悟りです。
生まれながらに片手が使えず何十人も殺め、ろくな人生が送れないと思われた我王でしたが、人との巡り逢わせが彼を変え、このような悟りを得るまでに心が成長したのです。
しかしこのシーン、とても印象的ではあったのですが、正直なところ僕には彼の言っていることを理解することはできませんでした。
彼の言うことが理解できたら、人生のさまざまな苦悩から解放されるかなと思って何度も読み直したのですが、何度読んでもチンプンカンプンです。。
「宇宙の中に人生など いっさい無」
であることが分かったところで、それが何の救いになるというのでしょうか?
凡人の僕には分からないのですが、きっと人の何倍もの苦悩を背負った我王にとってはこの上ない気づきだったのでしょうね。
もしかしたら「ブッダ」や「キリスト」など、古今東西の悟りを得た宗教の創始者は、みなこんな風な悟りを得た人たちなのかもしれないなぁ、と思いました。
「鳳凰編」については、以下の記事で詳しくお話しています。
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手塚治虫『火の鳥』鳳凰編 感想 無限に繰り返す残酷な輪廻の物語
まとめ
火の鳥の過去側から、特に印象的だったセリフをまとめると、
- 死なないからだになれたらなあって思うんだ
- 死なないことがしあわせではないぞ
生きているあいだに…自分の生きがいを見つけることが大事なんじゃ - 生きる?死ぬ?それがなんだというんだ
宇宙の中に人生など いっさい無だ!ちっぽけなごみなのだ!
でした。
並べてみると、全て「生と死」についてのことですね。。
まぁ『火の鳥』って「生と死」がテーマなので、手塚先生としても必然と描き方も印象的なものになったのかもしれません。
少し気になったのは、手塚先生も「我王」のように「人生など宇宙の中では無」位の悟りを得ていたのか?ということです。
もしかしたら「生と死」について何十年も考え続けた末に先生が得た「無の境地」を、作品中で「我王」に語らせたのかもしれないなぁ、と思いました。
それでは、今日も最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
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